魂の相棒(こにしゆきこ)

日常のいろんなことを綴っています

母の死

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先日6月26日の午後10時頃、実家の母が亡くなった

3月に85歳になった母は喉に吐いたものを詰まらせ救急車で運ばれ意識不明のままこの世を去った

3月に私と息子は実家に帰省していたが、その時も母親が入院先の病院で血圧が下がりすぎているので危ないかもしれないということであった

持ち直して3ヶ月ほど生きていたが、私は3月の時点でもう長くはないだろうと思っていた
ベッドの上で床ずれが痛くても自分では体の向きを変えられないし食べ物もあまり食べられなくなっていた

5月には母の日のお花を贈り兄嫁の携帯から電話をかけてきたが、その声は弱弱しく途中で話が途切れてしまった

6月27日に息子と実家に戻り28日にはお通夜、29日はお葬式とあわただしく過ぎた

母の顔は「安らぎ」があった
もう痛いところもなく「やっと楽になった」とでも言うかのような顔であった

人間ってどこまで生きたらよいのだろうか?
何でも自分でやって生きてきた人間は簡単に人に世話になることを嫌うでしょうし
人に世話になって長く生きるのは人生にとって意味があるのだろうか・・・と考えてしまう

現に私も動けなくなって自分でしたいことも出来なくなってから長くは生きていたくはない

自分で出来るうちは生きていたいし生きる意味があると思うが、そうじゃなくなってからは自分の生きていることの意味がなくなってしまう

長生きはしたくないと私は思う

火葬場でお骨を拾いお寺に向かうときに喪服の帯の右端を誰かに「とんとん」とたたかれたような気がして振り向くと誰もいない

少し離れたところに身内がいたがそんな時におふざけするような人間はいない
その時には「おかしいな、気のせいかな」と思ったが実家に戻って喪服を脱ぎ帯を解くとびっくりであった
帯の袋になっている部分の内側に「マチ針」が入っていて針先が生地の中から突き出ていた

よくもまあ何時間も帯を締めていて刺さらなかったものだと思った
帯は周りが縫ってあって袋になっているので解いて入れるかしなければ隙間からは入れられないだろうと考える

火葬場で私の背後から帯の部分を「ちょんちょん」とした理由があったわけだがそれは母親だろうか

「帯の中にマチ針が入っているよ」と教える為だったのか・・・
喪服は私が結婚する以前に作ってくれていたもので30年は新品のままだったが一度も袖を通していなくてもシミが付いたりしていたので持ってかえって綺麗に洗った

離婚をしてバツイチになって親不孝ではあるが最後のときは私が娘であることを認識していたのであろうか・・・と思う

私は認知症アルツハイマーになる前にはっきりと意識があるうちにこの世を去りたいと思う
最後まで伝えなければならない使命があるから・・・