魂の相棒(こにしゆきこ)

日常のいろんなことを綴っています

24歳の誕生日

3月20日は息子の24歳の誕生日であった

引越しをして半年が過ぎ、知らぬ間に体重が10kg減り少しスリムになってもうひとつ仕事を見つけようとしている彼である

私は相変わらずのどらえもん体型であり依然として腰痛に苦しんでいることには変わりない

電磁波はなくなったものの体に危害を加えられていることに変わりは無いし周辺住民の行動や言動にも何の変化もなしというのはどうだろう・・・

先週の13日と14日実家へ3年ぶりに帰省した

滅多に電話をかけてこない実家の兄と兄嫁が電話で母親が入院している病院で危ない状態だというのだ

入院していることも知らなかった私はちょうど2日間休みだった息子と共に帰省することを決めて電車で戻った

新大阪駅から天橋立へ電車で行きそこからバスで向かい入院先の病院の病室までたどりついたのだが85歳の母親はベッドの上で身動きもせずに横たわっていた

声をかけたが私だとはわかっていない様子だしうつろな目をしてこちらを見たが反応はあまりない

血圧が低くなっていて最高血圧が70あるかないかだと聞いていたが、その時は90近くにまで上がっていた

後で聞いた話だが血圧を上げる薬を投与されていてやっと90近くまでになっていたらしい

少し手や足をさすってみたり暖めてみたりしたら110まで上昇した

そのうちに兄嫁が病室までやってきて3人で車に乗って帰宅した

88歳の父親は夕方までデイサービスに預かってもらっていて3年ぶりに再会したが3年前よりやせて足元も支えなければ歩けないようになっていた

当然ポータブルのトイレを利用するようになってしまっていてお布団の中に真っ裸になって脱いだおしめパンツの中に便が出ていてそれが外にはみだし、シーツから何から最悪の状態になってしまっていた

朝から大洗濯になってしまい天気も良くないので困ってしまった

年をとるという事はこういうことなのだと実感した

まるで赤ん坊と同じである、自分が何をしているのかさえもわからなくなってしまっている

が、そのくせ兄嫁に自分の大切な物を何処へやったと攻め立てている

そのせりふは以前私にも言っていた

記憶も定かでなくなってしまって言っていることも何のことだか判らない状態で兄嫁も困っていた

とりあえず母親は持ち直し私のことがわからなくても仕方が無いし父親は私が大阪へ戻ることを告げると少し涙がこぼれていたように思う

実家も甥っ子たちが次々と結婚するのであちこちと手直しをし綺麗になっていて使いやすく便利にしてあったが私が3年前に落ちた階段はそのままであった

あそこも直しておけば良かったんではと思うが・・・嫁さんが落ちなければ良いが・・・

交通費がかかるのでなかなか帰省はできないが今回は兄が交通費を1万出してくれたが息子とふたりで帰ったのでマイナス1万・・・ってことになる

でも誕生日のお祝いといってもらった分でゲームソフトを購入し満足していた息子であった